東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4596号 判決 1974年5月23日
原告
山中春男
ほか七名
被告
杉崎参平
主文
被告は、原告山中春男、同杉野栄、同阿部寛、同鈴木七三に対し、それぞれ九六五万二〇九〇円、原告山中重子、同杉野つね、同阿部ヨネ、同鈴木かつに対し、それぞれ九三三万二〇九〇円、及び右各金員に対する昭和四八年六月二一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、その二〇分の三を原告らの、その余を被告の負担とする。
この判決の主文第一項は、仮執行することができる。
事実
第一当事者双方の求める裁判
原告ら「1被告は、原告山中春男に対し一二一八万三七〇三円原告山中重子に対し一一六三万三七〇三円、原告杉野栄、同阿部寛、同鈴木七三に対し各一二三五万七二六五円、原告杉野つね、同阿部ヨネ、同鈴木かつに対し各一一八〇万七二六五円及び右各金員に対する昭和四八年六月二一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。2訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに1につき仮執行宣言
被告「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決
第二原告らの請求の原因
一 本件事故
杉崎隆一(以下隆一という)が昭和四七年一月二二日午前九時三〇分ごろ普通乗用自動車(品川55な9799、以下事故車という)を運転し、神奈川県藤沢市亀井野一八三六番地先の小田急電鉄六合第二号踏切を横断したところ、山下豊運転の小田急電鉄江の島線上り急行電車と衝突した。
事故車には運転者隆一のほかに、助手席に鈴木良和(以下良和という)後部座席に山中章、杉野政男、阿部正弘が同乗していたが、本件事故のため、隆一、山中章、杉野政男、阿部正弘が即死し、良和は本件事故発生二五分後に藤沢市善行一丁目二〇番六号山崎外科医院において死亡した。
二 被告の責任
被告は、事故車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、原告らが本件事故によつて被つた損害を賠償する義務がある。
三 原告らの損害
(一)1 被害者らの逸失利益
本件事故当時、亡山中章は満二〇歳、亡杉野政男、亡阿部正弘、亡良和は満一九歳の健康な男子で、いずれも日本大学経済学部一年に在学しており、本件事故がなければ右四名(以下被害者ら四名という)はいずれも大学卒業後(即ち本件事故から四年後)からいずれも六三歳まで稼働して収入をあげ得たはずである。
労働省労働統計調査部編「賃金構造基本統計調査」昭和四六年版の年令階級別現金給与額表によれば、昭和四六年の新制大学卒業者の毎月受け取る平均給与額及び年間手当額は別表1のとおりであり、被害者ら四名も就労期間中それぞれこれと同程度の収入を得ることができるはずである。被害者ら四名の生活費はその全就労期間を通じてそれぞれの収入額の五割である。
そこで、亡山中章について二四歳から六三歳に達するまでの三九年間、亡杉野政男、亡阿部正弘、亡良和について二三歳から六三歳に達するまでの四〇年間同表の年金的純益があることになり、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると別表2の計算のとおり、亡杉野政男、亡阿部正弘、亡良和につき、いずれも二一〇一万三二一〇円、亡山中章については、稼働年数が一年短いので、別表2の六三歳時の年間純益の現価(79万8,650円×0.32)を控除すると二〇六九万七六四二円となる。
2 相続
(1) 原告山中春男、同山中重子は、亡山中章の、原告杉野栄、同杉野つねは亡杉野政男の、原告阿部寛、同阿部ヨネは亡阿部正弘の、原告鈴木七三、同鈴木かつは亡良和の、それぞれ父、母であり、いずれも他に相続人はいない。
(2) 原告らが各々の被相続人より相続によつて取得した金額は、原告山中春男、同山中重子が各一〇三四万八八二一円、同杉野栄、同杉野つね、同阿部寛、同阿部ヨネ、同鈴木七三、同鈴木かつが各一〇五〇万六六〇五円である。
(二) 葬式費用の支出による損害
亡山中章、亡杉野政男、亡阿部正弘、亡良和のそれぞれの父である原告山中春男、同杉野栄、同阿部寛、同鈴木七三は、葬式費用として少くとも各々五〇万円を支出し、同額の損害を被つた。
(三) 慰藉料
亡山中章は、原告山中春男、同重子の、亡杉野政男は原告杉野栄、同つねの、亡阿部正弘は原告阿部寛、同ヨネの、亡良和は原告鈴木七三、同かつの、いずれも長男であるが、各原告は、晴れて大学生となつたそれぞれの息子の将来に大きな期待をよせていたのであり、被害者ら四名は、それぞれの父、母である原告らにとつて、いずれも、老後の柱として欠くことのできない存在であつた。従つて原告らは、本件事故によつて甚大な精神的打撃を受けたので、その慰藉料は各原告につき、それぞれ二五〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用
原告らは、本件事故によつて被つた損害につき、被告と交渉をしたが、被告は、事故車の運転者が亡隆一であることが明白であるにもかかわらず、右事実を否定し、原告らの示談交渉に応じようとせず、原告らは、止むなく昭和四八年四月一二日、東京弁護士会弁護士西嶋勝彦、同川名照美に対し、各々本件訴訟の提起を委任し、その手数料および謝金として日本弁護士連合会報酬規定により各原告の前記損害金の一割を支払う約束をした。
四 強制保険金の受領
原告らは、強制保険金各二五〇万円(被害者一人につき五〇〇万円)を受領している。
五 よつて原告らは被告に対し各々損害賠償として前記損害額合計から前記の受領額を差引いた金員及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四八年六月二一日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三被告の主張
一 答弁
請求原因一の事実中、事故当時事故車を運転していたのが隆一であるとの点を否認し、同車に乗車していた五名の位置につき争い、その余の事実は認める。
同二の事実中、被告が事故車を所有することは認めるが、その余の事実は否認する。
同三(一)1の事実中、被害者ら四名がいずれも当時日本大学経済学部一年在学中であつたことは認めるが、その余は争う。同2(1)の事実は認める。同(2)の事実は争う。同(二)の事実は不知。同(三)の事実中、原告ら主張の身分関係は認めるが、その余は争う。同(四)の事実中、被告が事故車の運転者が隆一であることを前提とする原告らの要求に応じなかつたことは認めるが、その余は争う。
同四の事実は認める。
二 事実上の主張
(一) 被害者ら四名および亡隆一は、本件事故当時、いずれも日本大学経済学部一年の同級生の間柄にあつた。
(二) 昭和四七年一月二一日、すなわち本件事故の前夜、被害者ら四名は、試験勉強のため、亡隆一方(被告方)に泊り、翌二二日朝、被告所有で、亡隆一が常時使用していた事故車に同乗して右大学へ向つたところ、同大学に至近の前記踏切において、事故車左側面に電車が衝突し、本件事故となつた。
(三) ところで、本件事故の際、事故車を運転していたのは、良和であつて隆一ではない。
仮に、当時の運転者が良和でなく、被害者ら四名のうちその余のいずれかの者であつたとしても、次に述べる結論に差異はない。
三 被告は自賠法三条にいう運行供用者ではない。すなわち、
自賠法三条本文にいう「その運行」とは、一方に運行供用者を、他方に被害者を対立させた相対的関係において、第一に、その運行にあたる運転者が、被害者側の者であるよりはむしろ運行供用者側の者であること、云い換えれば、運転者を通じての当該自動車の運行に対する支配可能性が、被害者よりもむしろ運行供用者側に存することを当然の前提とし、第二に、その運行目的が、相対的に被害者の利益にあるよりはむしろ運行供用者の利益にあることを要すると解すべきである。
しかるところ、本件事故における運転者亡鈴木良和による本件自動車の運行に対しては、同人自身が被害者である関係においてはもとより亡山中章、亡杉野政男および亡阿部正弘が被害者である関係においても、単に該自動車の所有名義人であるに過ぎない被告側よりも、右各被害者側により大きな支配可能性があつたことは明らかであり、さらに、運行目的においても、運行供用者である被告側の利益よりもむしろ被害者である右四名の利益にあつたことは明らかであるから、被告が、本件事故に基き、右各被害者に対して自賠法三条の責任を負うことはない。けだし、
(一) 自賠法三条の「その運行」が、「自己(運行供用者)のためにする運行」の意味か、あるいは単に「その自動車の運行」の意味に過ぎないか、については二論が存するようであるが、相対立する当事者間の利害を調整することを目的とした私法規定の性格上、特定の概念を、絶対的(非相対的)方法により規定することは誤りであると思料する。
すなわち、「その運行」が「自己(運行供用者)のため」の運行と解されるとしても、「自己のため」の意味は、「相手(被害者)よりも自己(運行供用者)のため」と解されるべきことは、私法規定の性質上当然と云うべきである。
また、「その運行」を単に「その自動車の運行」の意味に解するとしても、物体に過ぎない自動車に固有の意思はなく、その「用い方に従い用いる」のは人である。すなわち、自動車の「運行」という概念は、「人」により「用いられている状態」を意味するものであり、単に物体の客観的な動的静的状態を意味するものではない。
したがつて、運転者および運転目的の如何は、「運行」の概念そのものに内在し、これを規定する要素であると云わねばならない。
(二) すなわち、「その運行」の意味を、「運行供用者によつて命ぜられ、または依頼された運転者が、運行供用者のためにする運転による運行」というように、とくに限定的に解することは誤りであり、むしろ同法条の精神から、これを非限定的に解すべきことは当然であるとしても、これを全く無限定に解さなければならないという理由はない。
すなわち、運転者を通じての自動車の運行に対する支配可能性が、運行供用者よりも被害者側に存する場合、または、その運行目的が、運転供用者側の利益よりも被害者側の利益にある場合において、なお運行供用者に責任を課すべき合理性は存しないであろう。
運行供用者が無過失責任を負うべき理由があるならば、その同じ理由で、右記の如き「運行支配者」「運行受益者」が責任を負うべきことは当然と云わなければならない。
(三) 右の結論は自賠法三条の規定そのものから論理的に明白である。
すなわち、同法条の賠償責任の主体は運行供用者であり、客体は「他人」たる被害者であるところ、運行供用者とは「自己のため」に自動車を運行の用に供する者であるから、被害者は、当該自動車の運行が主として自らの利益のためになされた場合は、運行供用者(責任主体)的性格を取得する反面、「他人」(責任客体)たる性格を失う道理であろう。
(四) 「運行支配者」についても同様である。
自賠法三条但書では、「被害者又は運転者以外の第三者(に故意又は過失があつたこと)」として、<1>被害者と運転者が別人であることを当然の前提としており、<2>「運転者以外の第三者に」として、免責要件たる第三者の故意、過失から運転者のそれが除外されている。
このことは、自賠法三条における「運転者」としては、運行供用者と被害者との相対的関係において、被害者側よりもむしろ運行供用者側において支配可能性を有している者が予定されていることを意味するものである。
もし、運行供用者側でなく被害者側の支配下にある運転者でも可とするならば、同法条但書の適用において、相手側であるべき運転者に過失があつた場合に免責されず、無過失の場合に免責される、という不都合な結論を避けられない。
したがつて、「その運行」とは、運転者の面において、被害者側よりむしろ運行供用者側にその支配可能性の存する「運行」を意味するものと解さざるを得ない。
判例が、いわゆる「好意的同乗者」に対して運行供用者の責任をみとめつゝ、「安全輸送義務」を論拠としているのは、自動車の運行に対する運転者を通じての支配可能性が、被害者側よりもむしろ運行供用者側に存することを当然の前提としているものである。
本件において、被告は事故車を所有し、平常はこれを被告の長男亡隆一の使用に供していた。
しかし、本件事故に際しては、事故車は、亡隆一とその学友である被害者ら四名の通学のために使用され、かつ、本件事故時においては、被告とは身分関係がない亡良和がこれを運転していたものである。
したがつて、「運行に対する支配可能性」の面では、被告が亡良和の運転に対し何ら支配可能性を有していなかつたのに対し、自ら運転者である亡良和はもとより、被害者ら四名の同乗者も、運転者亡良和の学友としての関係ならびに当該自動車に自ら同乗しているという立場において、その運行を支配する可能性を有していたものというべきであり、「運行による受益」の面でも、被告においては長男亡隆一の通学という間接的利益しか存しないのに反し、被害者ら四名においては、彼等自身の通学という直接的利益が存したものである。
したがつて、被害者ら四名が蒙つた損害は被告を運行供用者とする関係における「その運行」によるものでなく、このことは、彼等自身が正しく運行供用者に外ならない一事をもつてしても明白と云うべきである。
四 好意的同乗者に対する責任の限度
本件のような「好意同乗者」が自賠法上取得しうる損害賠償請求権は、すくなくとも同法に定める賠償責任保険の保険金額を超えることはないものと解すべきところ、原告らはいずれも右保険金額を受領しているので、本訴請求は失当である。けだし、
(一) いわゆる好意的同乗者に対する責任については、一応これを自賠法三条の「他人」と解しつゝも、その責任は減免されなければならない、と考えるのが判例学説の大勢である。
このことは、一面において好意的同乗者を「他人」ではないと解することにより強制保険の対象外におかれる結果を好ましくないものとする配慮があり、他面において好意的同乗者の損害を運行供用者の負担に帰せしめることが一般社会通念上いかにも不公平であると考えられるためであろう。
(二) 前記の如き判例学説の動向は、自動車の運行による損害賠償責任の「二因性」を考慮することにより理論的に裏付け得るものと考える。
すなわち、自賠法三条の責任は、一面において強制賠償保険制度による被害者保護を目的としているところから、一律に自動車の保有という定型的抽象的事実を責任原因としなければならない要請があり、他面においては、保有者と被害者との具体的公平を図るため、賠償責任の原因として運行受益、運行支配という二つの要素を考慮しなければならないという要請がある。
而して、右の二要素を基準として保有者と好意同乗者との具体的相対的関係を考えた場合、好意同乗者から保有者への賠償請求を肯認することが不公平と考えられつつも、なお、強制賠償保険による保護をも失わしむるのは酷である、と考えられる事案においては、好意同乗者をして一元的にそれが「他人」であるか否かを論すべきでないと考える。
すなわち、保有者との具体的公平を図るための、運行受益、運行支配といういわば「運行責任」の関係においては、好意同乗者を「他人」と考えることはできないとしても、危険物保有責任の関係においては、好意同乗者とて充分に「他人性」を有するであろう。
而して、自賠法による強制賠償保険の制度は、自動車の保有をもつて一律に義務づけられ、かつ、保有者と被害者との間の定型的抽象的公平を図ることを目的としたものと解されるので、運行受益、運行支配という運行責任の関係では「他人」と認め得ない被害者でも、危険物保有責任の理念のみが支配する強制賠償保険により保険される責任の限度における損害については、なお「他人」と解することも可能であると信ずる。
しかるところ、本件においては、被告は単に事故車の所有者に過ぎず、被告の長男であつた亡隆一は本件事故当時助手席にいて、事故車を運転していたものでないことは明白であるから、本件事故は隆一の過失によつて生じたものでもない。
さらに、被害者ら四名のうち、単に事故車に同乗していたに過ぎない者についてみても、被告との相対的関係においては被告以上に当該運行による利益(登校)を得、かつ、運行を支配し得た立場にあつたものであるから、彼等自身が運行供用者に外ならず、したがつて、この関係においては「他人」ではなかつたものと言わざるを得ない。
すなわち、いわば「運行責任(あるいは具体的運行責任)」の関係においては、被告にその責がないことは明白である。
そうとすれば、仮に「危険物保有責任(あるいは抽象的運行責任)」の関係において、被害者ら四名を「他人」と認めることが正当であるとしても、その責任範囲は強制賠償保険で保険される金額に限定されるものと解すべきところ、原告らに対しては、既に同保険金の限度額が支払われているので、その限度を超える本訴請求は失当であるというべきである。
第四証拠〔略〕
理由
一 事故
請求原因一の事実は、事故車の運転者が隆一であつたこと及び当時乗車していた五名の乗車位置を除き、当事者間に争がない。
二 責任
(一) 被告が事故車の所有者であつたことは当事者間に争がない。
事故当時、被害者ら四名が日本大学経済学部一年であつたことは当事者間に争がなく、〔証拠略〕によると、隆一も同学部一年で、右五名は互に親しい間柄であつたことを認めることができる。
〔証拠略〕によると、事故車は隆一が通学等のため常時使用していたものであること、被害者ら四名は事故前夜試験勉強のため隆一方(被告方―肩書住所)に泊り、翌朝被害者ら四名と隆一が事故車に乗車して前記大学(事故の発生した踏切に近い藤沢校舎)に向い、その間本件事故が発生したことを認めることができる。
(二) 被告は、事故当時事故車を運転していたのが隆一でないと主張するので、この点につき判断する。
1 事故当時事故車を運転していた者(以下単に運転者という)が当時同車に乗車していた隆一、被害者ら四名のうちいずれかであることはいうまでもない。
2 〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができる。
本件事故は電車が事故車の左側面に高速度で衝突したものであること。
右事故発生直後の状況は、電車が衝突地点から約二〇〇メートル先に停止し、その先端部に事故車の車体が原型をとどめないまでに破壊されて存し、同車の右側(運転席)ドアが衝突地点から約七〇メートルの地点にあつたこと。
事故車内には、前部座席に一名、後部座席に三名が居り、他の一名は衝突地点から約九〇メートルの鉄道線路側溝に居たこと。
右前部座席の者は、助手席あたりに座し、上半身を運転席側に倒した状態で、その着衣(薄茶色)の裾がシート附近にはさまれ、同人を車外に出した後にその布端が同所に残されたこと。
後部座席の三名は即死またはこれと同視すべき状態にあり、車外転落者も即死し、頭部に多量の出血がみられたこと。
3 〔証拠略〕によると、所轄消防署救急隊員は、事故発生数分後に同所に到着し、被害者らの救出にあたつたが、その際、前記前部座席の一名はなお生存しているとみて、原告ら主張の山崎外科医院に搬送したが、他の四名は病医院に搬送されていないことを認めることができる。
4 〔証拠略〕によれば、右医院に搬送された者は、事故発生約二五分後頭蓋骨骨折、脳挫傷、顔面後頭部挫滅創、全身打撲傷により同医院において死亡したこと、同人は当時薄茶色半コートを着用しており、右医院到着時にはその裾がちぎれていたこと、同人が良和であると確認されたことを認めることができる。
(良和がその頃右医院で死亡したことは当事者間に争がない。)
5 右2ないし4の事実によると、事故時事故車の前部には二名が乗車していて、そのうち運転席に居た者が車外に転落したこと、事故直後前部座席において発見された者は事故当時助手席にあつた者で、運転者ではないこと、事故直後前部座席において発見されたのは良和であることをそれぞれ推認するのが相当であり、したがつて、運転者は良和ではないと推認すべきこととなる。
6 そこで、右推認に牴触する証拠につき検討する。
(1) 証人栗原悠二、同竹越一伸はいずれも、当時前記学部一年で弓道部に属し、同じく弓道部に属する隆一と親しい者であるが、事故直後、事故車前部座席にいるのが隆一であると認めた旨証言する。けれども、右両名の証言によつても、右両名が被害者らの救出や関係者らへの通報に努めた点が殆ど窺われないことや前記2の事故直後の状況からすると、右両名が親友である隆一が事故にあつたのをその発生直後に目撃確認したとみることにかなり困難があり、右両証言をそのまま信用することはできない。
(2) 〔証拠略〕によつて、五名の傷害の部位を対比すると、良和だけがその受傷が全身に及んでいると認められ、〔証拠略〕では、車外転落者には多量の出血がみられたというのであつて、これらの証拠だけをみると、良和が運転席から車外に転落したものであつて、それ故に全身にわたつて受傷しているとの推測も不可能ではない。しかし、車外転落者が医院に搬送されたとする証拠は、証人杉崎ハマの証言に限られ、右証言は伝聞証言で証人小川満男の証言と対比しただけでも信用に値しないといえる。したがつて、この推論も可能性の域を出ないものである。
その他、5の推認に抵触する証拠はない。
7 被害者ら四名のうち、良和以外のいずれか三名のうち一名が運転者であつたことを窺わせる証拠はない。
以上のとおりであるから、運転者が隆一でないと断ずるに足る証拠はないといわなければならない。
(三) 以上に述べた事実に基いて判断すると、
被告は事故車の所有者であつて、事故当時にあつてもその運行供用者としての地位を保持しているというべきであるから、自賠法三条本文により本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。
ところで、本件事故により死亡した被害者ら四名は、運転者であつたと認めることができないのであるから、運転者でなかつたことにつき明らかにするまでもなく、自賠法三条により右事故により生じた損害すべてが賠償されるべきものと解するのが同法の趣旨に合致するものというべきである。
もつとも、被害者ら四名は、いわゆる好意同乗者と目すべき者に含まれるのであるが、いずれも本件運行につき単なる便乗者の域を超えた関与があつたと認めることはできないので、この事情は慰藉料算定につき斟酌する限度を超えて考慮すべき限りでない。
三 損害
(一) 逸失利益
1 被害者ら四名がいずれも当時大学一年在学中であつたことは前記のとおりである。
〔証拠略〕によると、被害者ら四名がそれぞれ昭和二六年一〇月から昭和二七年七月までの間に出生した男子であることを認めることができる。
〔証拠略〕によると、被害者ら四名がいずれも健康であつたことを認めることができる。
2 以上の事実と厚生省生命表による平均余命、原告ら主張の統計調査結果及び事故時から現在に至るまでの貨幣価値低下の事実を併せ考慮すれば、被害者ら四名の各逸失利益は、次のとおり算定するのを相当とする。
就労可能期間は、通常右大学を卒業すると認められる昭和五〇年四月以降四四年間とする。
その間の収入は、前記賃金構造基本統計調査の昭和四七年・第二表の男子旧大・新大卒年令階級別現金給与額の産業計・企業規模計の平均値にその一割を加算したものとし、便宜昭和五〇年四月から一年間を二三歳(以下同様)として算定する。
生活費その他の必要諸出費は、右大学在学中は月額一万五〇〇〇円、就労開始後は収入額の二分の一とする。
右金員は、就労開始以後の分については毎年の金額が月ごと後払いで均分支給ないし支出されるものとし、いずれも昭和四八年六月二一日以降につき単利、本判決言渡以降につき複利でそれぞれ年五分の中間利息を控除して現価を算出する。
右現価は、収入が三五四四万一一〇〇円、在学中の出費分が五五万六三七〇円、就労後のそれが一七七二万〇五五〇円であつて、結局、被害者ら四名の逸失利益は、それぞれ一七一六万四一八〇円となる。
3 被害者ら四名にとつて、原告らがそれぞれその父母であること、他に相続人のないことは当事者間に争がないから、原告らはそれぞれ被害者ら四名のうち一名の父または母として、その逸失利益の二分の一にあたる八五八万二〇九〇円の賠償請求権を相続により取得したものである。
(二) 葬式費用
原告山中春男、同杉野栄、同阿部寛、同鈴木七三がそれぞれ亡山中章、亡杉野政男、亡阿部正弘、亡良和の父として、その葬儀及びその他の諸忌事を主宰し、その費用としてそれぞれ三〇万円を下らない出費をしたことは、〔証拠略〕によりそれぞれ認めることができる。被害者ら四名の年齢、大学生であること等に鑑み、右原告らそれぞれにつき各三〇万円を本件事故と相当因果関係のある損害とみるのを相当とする。
(三) 慰藉料
原告らがその主張のとおりそれぞれ被害者ら四名の父母であること、被害者ら四名がいずれも大学一年在学中の健康な一九ないし二〇歳の若者であつたことは、既に述べたところである。右四名がそれぞれ原告らの下、その円満な家庭で生育したことは〔証拠略〕により明らかであり、原告らがそれぞれその子である右四名の将来に大きな期待を寄せていたことは特段の反証のない以上証拠をまつまでもないところである。
一方、被告もまた本件事故によりその子隆一を失つたものであるが、被害者ら四名の死に対し、その遺族である原告らに対し種々弔意を表していることは〔証拠略〕に徴し認めることができる。もつとも、被告は、事故時の運転者が誰であるかの認識及び賠償義務の範囲につき、原告ら及び当裁判所と別個の見解を有し、その結果本件訴訟の提起をみるに至つたことは本件記録上明らかであるが、被告の右判断は、客観的にはともかく、被告としては無理からぬ点があるというべきであるので、総じていえば、被告の態度は原告らの慰藉に努めてきたものと評価すべきである。
以上の事実のほか、既に認定した被害者ら四名の事故車乗車の経緯、隆一との関係等をも斟酌し、原告らが本件事故によりその子を失つたことに対する慰藉料の額は、原告らそれぞれ二五〇万円を相当とする。
(四) 弁護士費用
被告が事故車の運転者が隆一であることを前提とする原告らの要求に応じなかつたことは当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によると、原告らがそれぞれその主張のとおり弁護士である本件訴訟代理人らに本訴の提起追行を委任し、その主張のような手数料・報酬契約をしたことを認めることができるところ、本件訴訟の経緯、認容額等に鑑み、それぞれそのうち、昭和四八年六月二〇日の現価において、原告山中春男、同杉野栄、同阿部寛、同鈴木七三につき各七七万円、原告山中重子、同杉野つね、同阿部ヨネ、同鈴木かつにつき各七五万円を、本件事故と相当因果関係のある損害とみることができる。
(五) 損害の填補
原告らが本件事故による損害のうち、その主張のとおり各二五〇万円の填補を受けたことは当事者間に争がない。
四 結論
原告らが被告に対し本件事故による損害賠償として支払を求めることができる金額はそれぞれ前記三の(一)ないし(四)の合計額から(五)の金額を差引いたものであるから、原告らの本訴請求は各右各金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年六月二一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当である。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 高山晨)
別表1
<省略>
別表2
<省略>